1981年、大阪芸術大学には弓道部が存在しなかった。
創設者岡田成生が入学し、自らこの大学に籍を置きつつ「芸術とは何なのか?」と問うたとき、「絵を描く、音楽を奏でるといったことだ」との既成概念の間違いに気づくのは容易であった。
大学名に「芸術」の2文字を冠する大阪芸術大学が目指すもの、それは総合芸術学校だったからだ。
例えば建築学科は、図面が読み書き出来るようになるためだけのことを学べばよいのかというと、そうではない。それだけであれば専門学校で学べばこと足りる。建築や絵画、音楽など、それらにはそれぞれに文化があり歴史がある。その文化歴史を4年という期間において学び、感じとってこそ初めて本質をついたものが生み出せるようになるのであろう。なぜなら、その文化歴史の背景には必ずや人の精神が大きく介在し、人の精神を理解し得た者にこそ、人を感動させる力が宿るからである。
弓とは人の姿、精神を映し出す鏡であり、弓を引くという行為そのものは、自己存在やその精神をも含む、人そのものを理解し発見するということに密接な関係を持つものである。弓矢を武器とし、生死を懸けた真剣勝負をする必要のなくなった現代、弓道とは決して武道などではなく、茶道、花道に類する日本の精神文化の一つなのである。
その人の精神性を理解し得た上で成就成立させていこうとする方法論は、全く以て芸術のそれと合致融合するものであり、「芸術」の2文字を大学名に冠する大阪芸術大学であればこそ、「武道ではない弓道」という文化性豊かな組織の存在が、後年、大学の文化度を計る上で必ずや価値あるものになるであろうと確信し、1982年、後に創設者であり、初代主将となる岡田成生の呼びかけに賛同した弓に興味を持つ同志によって、第一歩が踏み出された。